イーストウッド『硫黄島からの手紙』―『突撃』より『黙示録』より『シン・レッド』より『Uボート』より『ダンケルク』より

そう多く戦争映画をみてきたわけではないが、個人的には戦争の「恐怖」ならキューブリック『突撃』、「狂気」ならコッポラ『地獄の黙示録』、「無常」ならマリック『シン・レッド・ライン』、「緊張」ならペーターゼン『Uボート』、「不条理」ならヴェルヌイユ『ダンケルク』が印象に残っている。しかしイーストウッドが満を持して放った日本軍からみた太平洋戦争映画は、そのいずれの点においてもこれら先行作に負けていない。
例えば映画において恐怖は、どんな風に喚起されるのだろうか。多くの日本人が西洋恐怖映画より邦画の方に恐ろしさを感じるとすれば、それは実は文化や言語に関係があるのではないか。だとすれば、本作のあの洞窟内のシーンは、軍内部の規律のために処刑される『突撃』より恐ろしいだろう。
なるほど『地獄の黙示録』は、戦争という異常事態で西洋的な神を持つ人間が陥るだろう狂気をこの上なく見事に表現している。しかし本作での一部上官たちの狂気は、「神国」という幻想よりより日本世間的な「面子」に立っているものではないか。岸田秀氏が「対人恐怖症」とした日本人のメンタリティには、本作の狂気の方がより身近に感じられるはずだ。
過激な戦闘シーンに美しい自然や故国の幸福な場面を隣接させた『シン・レッド・ライン』は、戦争のばからしさを感じさせるのにある意味最も有効な手法を使っていた。しかし本作の手紙や千人針という小道具はそれが愛する人の手によるものだけに痛切で、しかも同じ文化を持つ日本人にはこれほど訴えかけるものはない。
確かに『Uボート』のリアルな海底シーンは、「手に汗握る」ということにかけては映画史上有数のものだった。だがイーストウッドによるストレートでメリハリのきいたな人物描写で作中人物は観客に近い存在になっているだけに、その戦闘シーンは自分のことのように苦しく逃げ出したい様相を現出させている。
防戦の手段をほとんど持たず、相手の攻撃にさらされたままの『ダンケルク』は、どうしようもない戦争の「他者性」を極端なかたちで描いていた。しかし2部作の第1弾として米軍側からの『父親たちの星条旗』をみた観客は、あの恐ろしい米兵たちがそれぞれに故郷を持ちジャズシンガーの美しい歌声に涙を流す「人間」であることを知っている。その「神の視点」は、両軍の様子を並列に語るのでなく一方を語った後でもう一方を語るという画期的な手法でさらに際立ったものになった。
これらのことからしても、本作は史上に残る戦争映画といえる。文化が違うという日本人以外の観客とってのハンディも、捕虜になった米兵の手紙のエピソードが語るようにその価値観は普遍的なだけに問題にはならないだろう。
といってこれはただ私の個人的な「映画」観に基づく判断で本作の重要さを損なうものではないのだが、本作が「戦争映画」として先にあげた5作より忘れられないものになるかといえばそうも言い切れないでいる。すべてにおいてこれ以上なくまっとなイーストウッド作には、「映画的」な驚きが少ない。たとえば冒頭以降はほとんど戦闘シーンがない『突撃』、作品内のみならず製作者側が狂気に陥った『地獄の黙示録』、荒くれた戦闘シーンに唐突に絶世の美女が出現する『ダンケルク』のような、「映画」という形式の「謎」について考えさせる「驚き」こそが私が映画に求めているものだからだ。
とはいえ本作は映画史上にも、戦争映画史上にも、映画人イーストウッド史上にも、日本の歴史認識史上にも重要な作品だろう。そういったまったくぶれのないプロフェッショナルな完成度の高さこそが、映画人イーストウッドの魅力なのだ。
たとえば西郷・二宮和也が妻・裕木奈江と卓袱台をはさむシーン。いつものアメリカを舞台にしたイーストウッド作でテーブルをはさんだ会話とまったく同じように絶妙のタイミングでカットがつながれてた後で、西郷が妻の横にそっと座る。渡辺謙・栗林中将や伊原剛志・西中佐は、外国人ということもあってかこれまでのイーストウッド作ではなかったほど典型的に完璧で高潔な軍人として描かれた。中村獅童・伊藤中尉は、例えば『許されざる者』のジーン・ハックマンとか『ミリオンダラー・ベイビー』の非道家族のように観客の感情を逆撫でする。この思い切りステレオタイプな人物造形があるからこそ、観客にとってドラマは切実さをもって立ち上がる。出演陣はイーストウッドのかっちりした演出のもと自信たっぷりに演じていてすばらしい。
74歳にしてとんでもない地点にたどり着いたイーストウッド。それでも個人的に今後もっとみたい彼の作品は、やはり『ホワイトハンター ブラックハート』、『ブロンコ・ビリー』のような珠玉の映画なのだけれど。

※本レビューは1月4日に一部修正しました

06年12月28日 伊勢崎MOVIX

(BGMはJ−WAVE)

加藤幹郎『映画館と観客の文化史』―だから映画は美しい。作品も観客も

年も押し詰まり寒くなりました。今日は「読書」、映画についての本です。

映画はきちんとみたいと私は思っている。できれば映画館で、自宅で録画でもそれなりに姿勢を正して、最初からエンドロールが消えるまで。この本を読んでも、その気持ちに変わりはない。ただそのようなみかたがすべてではないことはよくわかった。
オランダ、デン・ハーグのパノラマ館の記述に始まる本書がおしえてくれるのは、映画の器、そして何より観客の物語だ。といっても1957年生まれの著者に映画百年の歴史がみられるはずはないから、当然文献研究がその方法となる。資料に踊らされ過ぎないその分析は的確で、そこから抽出される観客たちの姿はおそらく上映作品に劣らずおもしろく魅力的だ。ちょうど歴史的名作『天井桟敷の人々』の観衆たちのように。
ボードビルから進展したという初期の映画上映では、舞台の生出演歌手と一緒に観客たちも大合唱していたこと。入場すると複数のキネトスコープという箱で短編を楽しむボクシングのラウンドのような「ラウンド式上映」。列車の旅を疑似体験できた「ファントム・ライド」。画面の中の自分をみるのが観客の主な目的だった「ご当地映画(ホームタウン・フィルム)」。市内ロケの日程を載せていた50年代の「京都新聞」。意外とも思えるこれらの物語は、よく考えてみると実は1963年生まれの私などの周りには、似たようなものならいくらでもあった風景だったことに気づく。
例えば、中学生の頃か弟と行ったマンガ祭りで主題歌を歌いまくっていた子どもたち。最近地元で撮ったSFタッチの作品をみに行った友人からエキストラ出演のおばちゃんたちがストーリーよりスクリーンの中の自分を探すのに夢中だったときいたし、ホームビデオの普及で手軽になった中高生の制作映画では誰がどこで出るかが最も重要な鑑賞ポイントだ。思い起こせば小さい頃は、近所の工場での野外映画会や神社などでの地域の映画会もあった。
さらにいえば、高校生くらいまで映画館も途中から入るのにそれほど抵抗はなく、銀座の名画座で初めてみた一生で二番目に重要な作品『ゴッドファーザー』の1と2でさえ、到着時間の関係で2の途中からみるという暴挙は今なら考えられない。ビデオがなかったから、テレビの洋画劇場のオープニングに間に合わず途中からみてもあまり気にしなかった。
と、ここまで考えて、今の自分がすごく不自由な映画のみ方をしているのではないかと気づく。よりよい状況を選択しようとすることが不自由につながってしまうのは、何も映画だけに限ったことではないだろう。といって、シチュエーションを選べるならきちんとみたいというのは当然の欲求だからしかたない。せめてそれが唯一の方法でないということを知っておくだけだろう。でも例えば、『アラビアのロレンス』をポータブルのDVDプレーヤーで枕もとでなんてみたくないし。
著者のすごいところは、映画館で眠る快感にまで言及している点だ。試写室で気持ちよく眠る他の記者を起こしたという“正しい”映画鑑賞者について触れ、「慎みとは『物事をあるがままにさせることであり、それらがそれ自身の本質的なありかたをとることに対する寛容』である」とエドワード・レルフなる人物のすばらしい引用を添える。この一言を知っただけでも本書の860円のうち800円の価値があるというのは少し小さい発想だけど、映画館でするのは映画をみることだけでないというセリフがあったのはウッディ・アレンの作品だったろうか。
小さな箱で一人でみることに始まりドライブインシアターのような大人数でみるように発展した映画は、今またAV機器の発達で一人でみる時代になったと著者はいう。DVDで何度もみられるようになってからの批評の変容については蓮実重彦氏も言及していたが、それは映画自体を大きく変えていくに違いない。
ならば「映画」とは何だろう。「映画」に変わってほしくないところがあるか。これは映画だけに限らず「物語」を持つメディアすべてにいえることだが、私はゲームのように鑑賞者が自由に改変できるようにだけはなってほしくない。いわゆる「ゲーム脳」について結論だ出ていない現在、ゲームの弊害があるとすれば思い通りにならないということのすばらしさを学ぶことができない点で、それを思い知るのに映画は最適のメディアだと思っているからだ。だから映画は美しい。作品も観客も。

11月13日読了 熊谷・蔦屋書店で購入

(BGMは夕方シャワー後初聴のドゥルッティ・コラムの新作 "keep beathing"。このギターはあまりに気持ちよくて、もう5回目か6回目)

ダンカン・タッカー『トランスアメリカ』―「新しいテーマは古いスタイル」で

ロードムービー」とはすごい発明だと思う。
性同一障害、親子関係、少数民族ワーキングプアなど実に多様な、しかも今日的なテーマを詰め込みながら、それを難なくまとめてしまえたのは、ロードムービーというすばらしい“道路”があってこそ。もちろんそれをかたちにした監督・脚本の新鋭、ダンカン・タッカーの手腕も大きいだろう。「新しい酒は新しい袋」にというが、映画のような表現では案外、「新しいテーマは古いスタイル」にが正しいのかもしれない。と思って公式サイトをみると監督自身、「古風な映画」と発言していた。
確かに「女性になりたい男」にしか見えないフェリシティ・ハフマンは好演。そしてそれ以上に、「リバー・フェニックスの再来」だというケヴィン・ゼガーズという若手がすばらしい。このところの日本では元気のいい10代少女に押されて映画のテーマになりにくいが、現実世界でも10代後半少年というのも他者性において際立つ存在だとよく思う。そのざらざら、ぎざぎざとした感触をうまく描いた作品は、トリュフォーなどフランス・ヌーヴェルヴァーグ勢などを除きそう多くはないが、本作のゼガーズはその数少ない例の一つといえる。脚本が先にあったかキャストが先かはわからないが、あの年代の少年特有の倦怠や幼児性との二面性が見事に描かれていた。
ストーリーはその息子ゼガーズが、彼にとってまったくの他者である少数民族のオヤジやいかにも南部的な奥様である祖母、性的に解放されたみなさんとの出会いを通して他者を受け入れ、社会性を身につけることを学んでいく。そしてそんな息子を受け入れることを通して主人公たる父は、自分を開きつつ完成させていくという構造をとる。これもロードムービーの傑作といえる『気狂いピエロ』で、やはり何かの引用かベルモンド、フェルディナンは「旅は若さをつくる」というが、「旅は大人もつくる」のだ。
それにしても、大陸を疾走するおんぼろステーションワゴンのかっこいいこと。これがもしヤッピーたちの乗る最新の欧州車なら、この作品の魅力は半減していたろう。こうした作品にこんな古めの小道具が必要になってしまうということは、『パリ・テキサス』でヴェンダースが「最後のアメリカ映画」を撮ろうとしたというのも本当なのかも知れない。
なお、今年みてよかった映画は『ぼくを葬る(おくる)』『ブロークバック・マウンテン』など少数派セクシュアリティがテーマの作品が多い。社会との軋轢があるから実に映画向きの素材だとは思うが、それを『ブロークバック』のように切なさと美しさでなく力強さで描いた点に作家のメッセージがあるのだろう。テーマに関わらず、みた後の印象は実にさわやか。

11月30日 シネマテークたかさき

(BGMはJ-WAVE小林克也のプリンス特集。プリンスも何というか少数派セクシュアリティの人だが、常に新しいところはすごい)

野上弥生子随筆集『花』―「山よりの手紙」の中の『マルクスの娘たち』

U2だのイーストウッドだの荒くれた話が続いたので、ここで一つ、明治生まれの女性が老境に達してから書いた随筆です。

【introdoction】
著者の wikipedia の解説は(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%8A%E5%BC%A5%E7%94%9F%E5%AD%90)。1885年、明治18年生まれとは私の祖父より20歳上だからその親の世代です。何といっても漱石の直弟子ですから。
名前くらいしか知らなかったこの人の本を古本屋で手に取ったのは、(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/ffdc06044018da7778f5ba47df7cdae8)にあるように古い随筆は必ずおもしろいというものさしからで、しかもその古い人が1970年代というけっこう最近に書いたものとあって興味がわいたので。それと品のいい表紙。ただ、この新潮文庫はもうないようで、岩波の随筆集があるようです。

【review】
うちの祖父母などもそうだったけれど、この頃の日本人は私たちとはずいぶん違った世界を生きていたのだなと改めて思う。それは(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/9da3251a7c57c48ef5735b068c3ea832)の週間日記にも書いた、小鳥の行方を思いやり、道を歩いていると河童がついてくる声が聞こえるというような、何とも楽しくて素敵な心持ち。山小屋の柱やガラス窓にも「帰ってきました」というのだ。
祖母なども生前よくたぬきにばかされた話をしていて、それを「そんなこといってたんだからおかしいねえ」といっていたのだから、あるひと時期まで信じていたのだろう。現代中学生などと話をしていると、何歳までサンタクロースを信じていたかが話題になることがあるが、コカ・コーラ商売の産物たる赤いサンタより、信じて美しいものがたくさんあるのではないか。
小鳥と河童の子の「巣箱」、これだけ30歳前に書いた童話仕立ての「いろいろなこと」、奈良美術とある編集者の仕事を書いた「春閑」、「先生」としての「夏目漱石」と、どれも面白い話ばかりなのだが、特に一つ紹介するとしたら「山よりの手紙」。お見舞いの返信らしいこの手紙は、容態や病院の話、老境の死生観などが語られた後でまったく思いがけない展開を見せる。
岩上淑子さんという翻訳者が送ってくれた『マルクスの娘たち』という本について語り始めると、お見舞いのことなどまったく関係なくなり、この感動的な本についての言葉がどこまでも続く。その長さ40×16だった当時の新潮文庫で40ページ弱。約25000字、原稿用紙で60枚以上だ。
この本の内容がまたすばらしい。波乱に富んだ人生を歩んだマルクスの3人の娘については何かで読んだような記憶もあるが、その何かでは伝わらなかったものがこの手紙には記されている。幸福な少女時代と、史上稀なる父から受け継いだ高潔な精神、そして思うように歩まぬ人生。これらの骨太の物語を語り始めると、百歳近い生涯ずっと現役だった作家の魂が叫ぶのだろう。
この手紙の中で語られるこの作品の何と魅力的なことか。おそらく、実際にこの本を読んだとしても「山よりの手紙」の中の『マルクスの娘たち』のようなすごみは感じないだろう。それはそうだな、たとえば草についた農薬の毒が食物連鎖を重ねるにつれ濃縮されるように、感動したことを語るからこそ生まれる、そういう種類の感動だと思う。
それにしても、独居の軽井沢の山小屋でこの手紙はどのようにして書かれたのだろうか。自分のことを書いている最初の部分のアンダンテから、一転してスケルツォで奏でられる『マルクスの娘たち』の人生はこういう書き方しかできないのが惜しいが絞りつけるように美しい。ただ身辺のことを書いていた途中、この物語のことを書きたいという欲求に捕らえられた瞬間の表現者の業が、文字の列の中で躍り上がっている。
これこそが文学の不思議なのだと思う。この意外な展開に比べて、近年の観客を体よく驚かせるためのハリウッドや邦画メジャーのどんでん返しの何と悲しいことか。驚くということは驚かせてもらうことではないはずだ。
さて現代でも、河童の声を聞いて、『マルクスの娘たち』の物語に感じることは可能なのだろうか。河童ではなく、マルクスの娘たちではなくとも、同じように生きることは、きっと難しくはないと思う。
「いろいろなこと」からの引用を最後に。

なおその饗宴はいとも些かに簡素で、お皿の数も乏しかったとはいえ、フランス王立劇場の花形女優のラ・フォースタン姉妹のお料理で、そのお給仕で、なおまた可愛らしい小鳥たちの伴食と音楽で催されたのは、どんな貴人にも望めなかったことです。私は思います。アタナシアデスお爺さんのその食事は、おそらくその晩のパリのどこの晩餐会よりも豪奢に贅沢なものであったはずだ、と。

10月30日読了 中目黒の古本屋

(BGMはキャット・パワーの名盤 you are free は何やらアニミズムな感じです)

C・イーストウッド『父親たちの星条旗』―第一部だけでも戦争映画の新たな傑作

順番無視で今日は映画。明日の『硫黄島からの手紙』公開前にと思ったので。

硫黄島』をみた後ではきっと印象が変わってしまうから今日のうちに。この第一部だけでも十分な傑作だと思う。
まず監督イーストウッドの、76歳にして新たなジャンルに挑戦し、しかも相性のよくないCG、記憶の中では一度もやったことのないバラバラの時間軸といった冒険を余計なこだわりなく導入した素晴らしいアティテュードに敬意を表したい。きっと方法より、描きたいことの方が先に出る人なのだろう。何よりも映画を知り尽くした職人であり、どんなにしても娯楽性が失われないところがすごい。
たとえばCGでいえば、スピルバーグ色が強い戦闘シーンより、物語的にも大きな意味を持つスタジアムのシーンだ。あの観客と花火に、縦方向のカメラの移動を使って実に効果的な映像にすることに成功している。
そして、さっき立ち読みで確かめようと市内の24時間書店に行っても見つからなかった原作ではおそらくそうではなく、脚本P・ハギスの手によると思われる自在の時間軸。この映画ならではの手法を物語がわかりにくくなるとする向きもあるだろうが、それより登場人物たちの心情を表すのにあげていた効果を重くみたい。このカットバックがなければ、イギーのエピソードは伝えられないだろう。映画に必要以上の説明はいらないのだ。ハギス脚本も、個人的にはいまいちだった『ミリオン』より『クラッシュ』より数段よかった。
そして、印象的な二つのシーン。硫黄島に向かう船でラジオに聴き入るところと、涙を誘う浜辺の海水浴シーン。たとえば、ドクが遅れてゆっくりとズボンを脱ぐシーンを後ろから撮るような、当たり前過ぎてしかもこれ以上には考えらず揺るぎない演出は、イーストウッドの真骨頂といえ、しかもこのシーンのような印象はかつて彼の監督作で味わったことがない。つまりは76歳にして彼の映画力は進化しているのだ。
難点をあげれば、確かに3人以外のエピソードはわかりにくかった。かといって、これらを切って捨てるのがよかったとは思えないのだが。監督の話ばかりになったが、アダム・ビーチはじめ俳優陣もすばらしい。
本作のエピソードが、『硫黄島』でどのように展開するのかも楽しみだ。それにしても、『ピアノ・ブルース』のような珠玉の作品をつくったすぐ後にこういった作品ができるのだからおそれいる。そういえば終映後モノクロのドリームワークスは、淀川氏が『タイタニック』の時に強調していた追悼の意なのか。
戦争映画の新たな傑作の誕生を賞賛しよう。けれどもこの後もイーストウッドで好きな作品といわれれば、『ホワイトハンター ブラックハート』や『ブロンコ・ビリー』と応えてしまうんだろうな。そしてそれはイーストウッドの世界の、とめどもない広さを物語っている。

(BGMは今日が命日のジョン・レノンで『ダブル・ファンタジー』から『アコースティック』。そういえば、何をやっても娯楽性を失わないところはイーストウッドと似てる)

“マンデイ・スマイリー・マンデイ”―U2来日公演最終日レビュー

12月も早くも7日。5日からマフラーもし始めましたが、まだ自室は暖房なし。わけもなく、ただ乾くのが嫌なのと単に面倒なので耐えています。
というわけで、きっともっと寒いだろうアイルランド出身、U2日本公演最終日のレビューです。

会場の埼玉スーパーアリーナに着いたのは大体6時。HPに整理番号順で入場とあったので、開演1時間前に着いた。同行のネクタイでの参戦の弟とは駅で落ち合う。やつがビールを買っていないので、やむなくL缶2人でちびちびでの車中だった。
初めて来たが、街全体は数年前に一度来た時よりSFっぽさに磨きがかかっている。わけのわからぬまま若者どももたまる橋の上に来ると、まだ整理番号100番台。こっちは760なので時間がかかりそうと、弟にビールでも買ってきた方がいいんじゃないかといってやつは駅そばコンビニへ。しかし意外に早く列は進み、こりゃ大変だと思ってたがやつは追いついた。幼稚園児の頃は雪の中、学校に向かう途中で遭難しそうになって泣いたこともあったが成長したものだが、当たり前でなんつってももう38だからな。
弟がなんと唐揚げを買ってくるという離れ技を見せたので、ぱくつきながらちょっとこういう制度はやめて細かく区切った方がいいじゃねえかなどとこういう時の紋切り型である主催者批判でしばし待ち、黒ラベルL缶飲み終わる頃入場。空き缶を持っていたら「缶は持ち込めないですよ」と係員がいうので、入って捨てようと思ったんですよというと彼が受け取ってくれた。なかなかいいやつじゃねえかと先を急ぐ。
まだ開演には1時間あったが、弟とAブロックたる空間のあまりの近さに驚いたり感謝したり。ボノの立ち位置が教室の一番後ろの席からくらいという距離だった。フジロックやライブハウスならいざ知らず、こういうアリーナでのこの距離は初めてかも知れない。いやがうえにも期待は高まる。
じゃあ落ち着いたしということでトイレついでにハイネケン500円を弟の分まで買って来て、いや〜っなんて、さっきまでの主催者批判は忘れて思わぬ僥倖を噛み締めていると、後ろの西欧人が where did you buy beer? (ここから和訳で)あそこです、あまり遠くはないですよ〜首をすくめてノー。おお、さすが西欧人、根性がないともいえるが何とも合理的じゃないかと思いつつ少し話すと、彼ら男女は香港からU2をみるために来日したという。:そうだ、ここはアジアなんだと思いに浸っていると、ファーストヴィジット・ジャパンというレディの方が、あなたマドンナは見たの? などときく。うーん、やはりよくわからん。そのうち弟がトイレに行くからさらにビールを頼み、ウッジューライクビア? ヒール・ブリングユーで、香港ジェントルマンはサンキュー。戻って来た時には人がかなり増えていて、本来なら4つじゃなきゃつかないホルダーをつけてもらったという弟は、途中若けえやつに「ホントかよおっさん」などと批判されながらキャリーしていたらしい。チェンジはいいという香港西欧人にそれではと返し、アジア在住3紳士はU2に乾杯して開演を待った。

そして7:50頃だったか、正体不明な、弟によればボノ考案によるLEDパネルが一斉に発光し、ダブリン出身の4人の山師どもが巨大な音を立て始めた。
1stチューンは最新作から City Of Blinding Lights。サウンドとともに後方からの圧力でさらに前方に押し出され、弟も香港カップルも視界から消える。まあいい。今夜はU2のやつらがいれば十分だ。また終わったら会おう。初期の頃からするとものすごく安定したリズム隊にエッジのギターがキラキラと光り、貫禄のついたボノが伸びやかな声を乗せると山師はロックスターになる。ライブ一発目の感動はその日のハイライトのひとつだけど、こんなに嬉しかったのはそうだな、ポール・マッカトニー、ペイジ&プラント、ジョン本人は無理でも息子のショーン、それとパティ・スミスくらいしか思いつかない。やはり大事なのは出会いから20年という時間なのだ。
終わってから確かめたが今回はすべてこの曲だったらしい。今CDをきき直してみると曲の印象はまったく違う。アルバムではさわやかさすら感じさせる佳曲だが、スピードアップしたライブ版は熱かった。そして oh you look so beautiful tonight の大合唱。
興奮の約4分の後、レコードの uno, dos, tres... でなく「いち、に、さん...」で始まる vertico。まったく商売上手になったぜ。ipot と連動していた赤い円がぐるぐる回る。エンディングで she loves you の一節を歌うと会場は yeah, yeah, yeah。幸福なロックの一夜。
客席に深く伸びた花道に、ボノがエッジが走って行きスポットライトが当たる。後できいた話によると弟の近くの若きロックンレディは、「すごいただのおじさんなのにカッコイイ」と感動していたらしい。これには前から思っていたこと、たとえばボノみたいな容貌の輩はニューヨークあたりを歩いていれば1日に30人はすれ違うだろうし、エッジなんかロンドンならアスコット競馬場あたりの隅っこにいても誰も気づくまい。これだけルックス面でオーラを感じさせないでスタジアムを満員にできるポップスターがいただろうか。
近年のライブの映像、そして今回の公演をみて感心するのはそのエンターテイナーぶりだ。(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/2b6bf75e06c16d0807d7d8987e98b7fe)にも書いたように20年前、事件の背景など知らずに sunday bloody sunday をきいてそのひりつくようなスピリットにただひきつけられていた頃、彼らがこんなみているだけで嬉しくなってしまうようなパフォーマンスをするとは思いもよらなかった。それはたとえば高校の頃は生涯ナンバーワンアルバムだった peter gabriel の3rd。U2と同じプロデューサーの手になるその作品の作者が確かベストヒットUSAか何かに出てニコニコ笑っているのを見た時、おお、gabriel はいつも「開拓者のない狩り」とか一般人に理解できないことをいって決して笑わないのではないのかと、はぐらかされたような気がしたのと似ている。その当時の私は、怒りに燃えたアイルランドの若者は、常に怒りをたぎらせているのだと思っていたのだ。もちろん今回の意外さは悪くない。
そうする中、件の sunday bloody sunday。how long must we sing this song という見事な一節を持つこの曲は、前回来日ではおざなりな演奏に終わったときいた。今は coexist を掲げて歌われるこの曲。これだけ政治的なメッセージの強い曲がこうやって歌われることに一時の私は、ある種の違和感を感じていた。だが、今思うのはたとえ偽善に見えても善行は善行であり、偽善かどうかなんてすぐにはわからないということだ。先週出ていた筑紫哲也の番組でも、批判があるのはわかるがそれでもやるしかないというようなことをいっていた。ひとまず今はこいつらのいうことは信じよう。帰りに並ぶアムネスティやらエイズ撲滅運動の人々を見てそう思った。
そしてあっという間に時間は過ぎ、独特の長いMCから one。レパートリーの中でももっとも美しいこの曲でスターはいったんステージを後にしアンコール。舞妓さんフロム京都をステージに連れてくるところなんか、ストーンズみたいだ。名曲 with or without you も、もう一度ラストに「いち、に、さん...」 vertico。
この上ないロックショーを目撃し、世界が一つになることの重要さも少し感じた中年兄弟は互いを見つけ、魚民でニコニコしながら飲んでいたら終電を過ごして大宮の別の居酒屋で寝て朝を待った。
世界に上り詰めたポップスターが20年前に歌ったのが「血まみれの日曜日」ならこの日の兄弟が歌ったのは「微笑みの月曜日」、そう Monday smiley Monday。こっちはいつまでも歌っていたい。
ありがとう、ダブリンの山師集団。

(写真は2度目の「いち、に、さん...」 vertico。BGMは最新作とヘルメット・ベスト。セットリストは http://u2fan.blog68.fc2.com/blog-entry-207.htmlが参考になりました)

"with or without you"―U2前夜に

12月最初に日曜。久しぶりに仕事らしい仕事はまったくせず、いい天気だったし、うっかり昼っから飲んだりしていました。
いよいよ明日は春から延びたU2公演。熱い話は冬に書いた(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/2b6bf75e06c16d0807d7d8987e98b7fe)ので、今日は先ほど塾でOB・I君と話をした後、J−WAVEで小林克也エリック・クラプトン特集をきき、そのU2の記事を読み直して考えたことからさらに考えたというか思い出したことを。

最初に知ってから20年以上で、それなりにずっときいているミュージシャンの公演に行くというのは、ひょっとしたらもう最後かも知れない。そういうミュージシャンというのは、もうあらかたみてしまっているからだ。
ほかに誰かいるだろうかと考えてみれば、ケイト・ブッシュくらいか。キンクス、レイ・デイヴィスもみていないが、実はキンクスを本当にきき始めたのは30代になってからだ。日本人も中島みゆきはみていないが、まあその気になればいつでもみられそうなのが国内アーチストのいいところだろう。そういうわけで、もう一生で残り少ないだろう、長年敬愛してきたアーティストへの初見参ということになる。
前の記事を読み直して思い出したのだが、そのU2とてずっと愛聴してきたというわけではない。一時は多くのメディアに乗っかって、「悪魔に魂を売り渡した」と愛想を尽かしていた。そういえば今は自分にとってもっとも大事な音楽と公言しているビートルズさえ、プログレだのハードロックだのをきき始めた高校の頃からは幼稚な感じがし始めてあまりきかなくなり、大学を出てCDプレイヤーを入手してから再びきき出したのだ。

と、実はここからが今回の本題なのだが、こういうことは一体どういうことなのか。そういわれてもまったく普通のことにしか思われないかもしれないが、同じ人間の一生の中で同じ音楽がよくきこえたりそうでなかったりすること、これはけっこう不思議なことではないか。
さらに広げて、「通常の人間関係」もまったくこれと同じだと思う。特に地元の友人などでは、何かがきっかけで会ってしばらくぶりに話すと面白かったりして、それから約束したりしてしばらく付き合いが続く。なのにまたしばらくすると、何か特別なことがあったわけでなくても会う回数が減って自然に何年も会わずにいて、それでも別にさびしくも変でもない。どちらかというと田舎に多いだろうこうした付き合い方については30を過ぎた頃から不思議に感じ始めて、周りの人々にも調査すると、男女に関わらず大体みんなそんな風らしい。
ならば人に会うということはどういうことか。会っても会わないでも同じ、それではちょっと意味は違うけどU2の名曲のタイトル "with or without you" ではないか。

このことについて書かれた文章で、忘れられないものが三つある。
まず、荒川洋司さんが読売に書いていた中谷宇一郎のエッセイに関する文(『文学が好き』収録)。これは中谷が由布院に住むお祖父さんか誰かを訪ねた時の話で、その老人がいったという「会っても会わなくても同じ」という言葉から、死に別れるということと生きているのに会わないということについて書かかれたものだ。
次は佐藤雅彦さんが『毎月新聞』で書いていた、高校の友人が10年くらい前に死んでいたということを知り、そのことよりそれを自分がまったく知らないで今まで生きていたということがショックだったという文。
そしてもう一つが、保坂和志さんがこれも毎日の書評欄の連載で書いていた、中学校時代の日記が出てきて読んでみたら友だちがどうしたとかそんなことばかり書かれていて、そのこと自体もそうだが、それよりそのことをまったく忘れていたということの方が驚きだったという文だ。

U2に出会ったのと同じくらいに出会い、今も自分のものの考え方の基本にある本に岸田秀氏の『ものぐさ精神分析』があり、その中の「時間の起源は悔恨である」という一節は今も心に深く刻まれている。それはよくできた話だが、今の私の中で「時間」は起源がどうであれ、何より“驚きの舞台”だ。
ちょうど前に書いた“ワールドカップ実存主義”(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/5185a3c23edc05714e055674a97044a2)の頃から、自分の一生の中で“今”という時間が相対化されるようになったのか、今の時間を「ああ、この時間はきっと死ぬまで忘れないだろうな」と思うことが多くなった。と同時に、「今はこうだけど、これはいつまでもこうってわけはないのだろうな」と思うことも増えている。"sunday bloody sunday" で熱狂的になった時も、"zooropa" でもう終わりだと思った時も、その感じはいつまでも続くと思っていたのに。同じように、誰かと多くの時間を過ごしている時、後であの頃あいつと同じ時間を過ごしたと思うようになるだろうなと思うことなくその時間を、少なくともかつては過ごしていた。

そんなU2前夜、さっきまでの最新作の後、やはりこれと、贅沢をいえば "one" と "vertico" があればいいだろうというヘルメットベストをきく。たたみかけるような前半の名曲連発の間、with or と bloody にはさまれた "I still haven't found what I'm looking for" は、どちらかというと地味で今までそんなにいい曲と思ったことはなかった。それが今きくと、その気恥ずかしい歌詞とともに何だか心にしみる。養老孟司氏がいうように、やはり情報は変わらず人間が変わるのだろう。音楽や抽象的な思想なら時代を超えることができるのに。

だから明日、たとえば "with or without you" が始まる時、この瞬間をいつまでも忘れないと思うだろう。そしてそれで何年か経って明日という日の晩を思い出す時、あの時あんなことを考えていたなと思い出すだろう。そういう風に時間は不思議で、音楽はすばらしい。生きていてよかった。

(画像探して検索すると「セットリスト」の文字が。絶対見てなるものか)