イーストウッド『硫黄島からの手紙』―『突撃』より『黙示録』より『シン・レッド』より『Uボート』より『ダンケルク』より

そう多く戦争映画をみてきたわけではないが、個人的には戦争の「恐怖」ならキューブリック『突撃』、「狂気」ならコッポラ『地獄の黙示録』、「無常」ならマリック『シン・レッド・ライン』、「緊張」ならペーターゼン『Uボート』、「不条理」ならヴェルヌイユ『ダンケルク』が印象に残っている。しかしイーストウッドが満を持して放った日本軍からみた太平洋戦争映画は、そのいずれの点においてもこれら先行作に負けていない。
例えば映画において恐怖は、どんな風に喚起されるのだろうか。多くの日本人が西洋恐怖映画より邦画の方に恐ろしさを感じるとすれば、それは実は文化や言語に関係があるのではないか。だとすれば、本作のあの洞窟内のシーンは、軍内部の規律のために処刑される『突撃』より恐ろしいだろう。
なるほど『地獄の黙示録』は、戦争という異常事態で西洋的な神を持つ人間が陥るだろう狂気をこの上なく見事に表現している。しかし本作での一部上官たちの狂気は、「神国」という幻想よりより日本世間的な「面子」に立っているものではないか。岸田秀氏が「対人恐怖症」とした日本人のメンタリティには、本作の狂気の方がより身近に感じられるはずだ。
過激な戦闘シーンに美しい自然や故国の幸福な場面を隣接させた『シン・レッド・ライン』は、戦争のばからしさを感じさせるのにある意味最も有効な手法を使っていた。しかし本作の手紙や千人針という小道具はそれが愛する人の手によるものだけに痛切で、しかも同じ文化を持つ日本人にはこれほど訴えかけるものはない。
確かに『Uボート』のリアルな海底シーンは、「手に汗握る」ということにかけては映画史上有数のものだった。だがイーストウッドによるストレートでメリハリのきいたな人物描写で作中人物は観客に近い存在になっているだけに、その戦闘シーンは自分のことのように苦しく逃げ出したい様相を現出させている。
防戦の手段をほとんど持たず、相手の攻撃にさらされたままの『ダンケルク』は、どうしようもない戦争の「他者性」を極端なかたちで描いていた。しかし2部作の第1弾として米軍側からの『父親たちの星条旗』をみた観客は、あの恐ろしい米兵たちがそれぞれに故郷を持ちジャズシンガーの美しい歌声に涙を流す「人間」であることを知っている。その「神の視点」は、両軍の様子を並列に語るのでなく一方を語った後でもう一方を語るという画期的な手法でさらに際立ったものになった。
これらのことからしても、本作は史上に残る戦争映画といえる。文化が違うという日本人以外の観客とってのハンディも、捕虜になった米兵の手紙のエピソードが語るようにその価値観は普遍的なだけに問題にはならないだろう。
といってこれはただ私の個人的な「映画」観に基づく判断で本作の重要さを損なうものではないのだが、本作が「戦争映画」として先にあげた5作より忘れられないものになるかといえばそうも言い切れないでいる。すべてにおいてこれ以上なくまっとなイーストウッド作には、「映画的」な驚きが少ない。たとえば冒頭以降はほとんど戦闘シーンがない『突撃』、作品内のみならず製作者側が狂気に陥った『地獄の黙示録』、荒くれた戦闘シーンに唐突に絶世の美女が出現する『ダンケルク』のような、「映画」という形式の「謎」について考えさせる「驚き」こそが私が映画に求めているものだからだ。
とはいえ本作は映画史上にも、戦争映画史上にも、映画人イーストウッド史上にも、日本の歴史認識史上にも重要な作品だろう。そういったまったくぶれのないプロフェッショナルな完成度の高さこそが、映画人イーストウッドの魅力なのだ。
たとえば西郷・二宮和也が妻・裕木奈江と卓袱台をはさむシーン。いつものアメリカを舞台にしたイーストウッド作でテーブルをはさんだ会話とまったく同じように絶妙のタイミングでカットがつながれてた後で、西郷が妻の横にそっと座る。渡辺謙・栗林中将や伊原剛志・西中佐は、外国人ということもあってかこれまでのイーストウッド作ではなかったほど典型的に完璧で高潔な軍人として描かれた。中村獅童・伊藤中尉は、例えば『許されざる者』のジーン・ハックマンとか『ミリオンダラー・ベイビー』の非道家族のように観客の感情を逆撫でする。この思い切りステレオタイプな人物造形があるからこそ、観客にとってドラマは切実さをもって立ち上がる。出演陣はイーストウッドのかっちりした演出のもと自信たっぷりに演じていてすばらしい。
74歳にしてとんでもない地点にたどり着いたイーストウッド。それでも個人的に今後もっとみたい彼の作品は、やはり『ホワイトハンター ブラックハート』、『ブロンコ・ビリー』のような珠玉の映画なのだけれど。

※本レビューは1月4日に一部修正しました

06年12月28日 伊勢崎MOVIX

(BGMはJ−WAVE)