島田雅彦『退廃姉妹』―「だらだら」と“感動的”であること

島田雅彦氏の小説世界のもっとも大きな魅力は、完璧ともいっていい見事な「だらだら加減」にある。少なくとも今まで私が読んだ中では。
たとえば、新聞小説ということも手伝って、架空のだらだら世界に徐々に身を沈めていく快感が味わえた『忘れられた帝国』、縦横無尽なだらだらで世界を駆け回った初期の『天国が降ってくる』、いったい何がいいたいんだとうなった『やけっぱちのアリス』、漱石を自らのだらだらワールドに引き寄せた『彼岸先生』、不思議なかたちで倫理的な『君が壊れてしまう前に』などなど、まったくしょうがねえなあなどと思いながらどんどん引き込まれていき、読み終わっても、いやあ何だったんだろうなという感じが残る。だらだらなのにやけに大きなスケール感。『退廃姉妹』のキャラクターには恐らくサド『悪徳の栄え』『美徳の不幸』のジュリエット、ジュスティーヌ姉妹にヒントがあるだろうが、サド作品とはその得体の知れないスケール感が共通している。
その魅力こそは「小説」というジャンルに特権的に認められた種類の「快楽]であり、それを誰にもまねできない方法で作品に塗り込められるという点で、島田氏はこの国の作家の中で特権的な地位を占めているように思える。
そしてこの『退廃姉妹』。姉の振り返らない愛と妹の爆発する生命力で戦後の混乱を生きるというストーリーを語るのに、氏以上の語り口は考えられない。姉妹の精神的支柱といえる母の「レースをつけた白旗を振る」というイメージが、この作品世界を象徴していると思う。美しくあろうとすることは、生きることと同義なのだ。
時代考証も絶妙だ。当時を知らない私などでも、戦中世代らの作品に比べて本物とは思えない空気が全体を支配している。だが、そうした正確さなどお構いなしに、新たな世界を創造することが仕事だといわんばかりに“島田氏の戦後”を描き出す。
表紙に引用された、「オレの不幸がうつるぞ。」「いいんです。うつしてください。」の、たとえば『冬のソナタ』あたりから遥かに離れた不思議なカタルシス。これが「感動的」でなく“感動的”であることをわかってもらうには、読んでいただくしかない。
何なんだろう。

8月24日読了

(BGMは金曜恒例NHK渋谷陽一。げっ、今チープトリックが)