『スーパーマン リターンズ』―踏みとどまる技術の矜持

【introduction】
いわずと知れたアメリカンヒーローの古典。高校生の頃か1と2は劇場でみて、非常によくできた娯楽作という印象は残り、数年前にあるムックで1の紹介原稿を書いたこともあります。やはりC・リーブスはアンフォゲッタブル

【review】
CGは苦手だ、今のハリウッドに興味はない、そんな私でも十分に楽しめた快作。
観客15名ほどの月曜晩、地方都市の劇場、Xメンだったかワイルドスピードだか、1000円もらってもみたくない作品の恥知らずのディストーションがうるさい予告編で、「シンプルじゃなきゃ」などという字幕にまず辟易。そんなことをいう輩に本当にシンプルなやつはいないと思ってうんざりしながら、それから少し経ってスクリーンに繰り広げられた、リアルにシンプルなエンターテインメントに感心する。
スーパーマンというキャラクターの優れたところは、活躍ぶりがシンプルなことだ。止める、支える、持ち上げる、飛ぶ、間に合う、見下ろす。こうした映像的快感は、例えばNHKで何度かみた『世界最強の男』GPのようで、ただ単に「すげえなー」と思うことのよさを感じさせて潔い。つくりものだけど、それでなければ現出させられないリアル。
そういうリアルがあるから、普通ならみてられないロイスとのありきたりな葛藤劇も、あり得ないからこそ心に迫る。最高級ホテルの最上階で大富豪が町娘に言い寄るというのは興ざめだが、腕を組んで屋上に浮いた青い服の赤マントならしかたなし。お決まりの空のランデブーに、CGの力はうまく活きていた。
そして私たち世代の映画ファンに嬉しかったのは、素のシーンの1980年当時を思わせる柔らかなライティング。特に娯楽作のハリウッドは技術の進歩でうそっぽく思わせるきらきらパチッの映像ばかりの中、影をうまく使ったこの撮影は今でもやり方によってはこういう映像がつくれるのだなと、踏みとどまる技術の矜持を感じさせてくれた。
ストーリーのことはいうまい。やけに00年代的な悪役だったケヴィン・スペイシーは個人的にいただけないが、他キャストは80年代頃の雰囲気で十分。
別に若者にうけなくてもよく、つくりたい作品をつくってそれがハリウッドの奥深さになればいい。

8月29日 太田イオン

(BGMは80年代のアメリカを思い出されるカーズのベスト。"drive" はやはり名曲だ)