青木奈緒『うさぎの聞き耳』―「文は人」

幸田露伴を祖に、幸田文青木玉さんと続く名文一族の同い年作家。奈緒さんの存在を知ったのはNHK教育でやっていた祖母晩年の随筆『崩れ』の道筋をたどる仕事のドキュメントで、同い年だということで途端に親近感を持った。1963(昭和38)年は「卯年」で、だから『うさぎの聞き耳』。
周囲の人に「同い年にこだわりますね」といわれる私である。このブログでも重松清氏と同年代ということを書いたことがあったが、よくランディ・ジョンソンとかマイケル・ジョーダンとかデヴィッド・シーマンとかジョニー・デップとかスティーブン・ソダーバーグとかと同い年だと口にしているから、恐らく同じ年に生まれたということへに対する変なこだわりがあるのだろう。日本では巨人・工藤投手やリリー・フランキーさん、甲本ヒロトさんもいるが、あとの2人は学年が違うということにこだわるのもおかしなところだ。
それはいいとして私は幸田文の大ファンで、名随筆『木』を日本三大エッセイの一つに数えているほど。その文の生まれたのは祖父より一年早い1904年で、その孫が自分と同じというのは何だかうれしくなった。そういわれたちころで、奈緒さんの方は困るだろうが。
ところで私は、当代随一ともいえる女流文芸評論家斎藤美奈子さんがかつて読売の書評欄に書いていたように、「読むものがなかったら昔の人の随筆を読め」というのはもっともだとかねがね思っている。中谷宇一郎などの随筆を読みきらないでとっておいて、例えば朝のバス待ちになるフジロックに行く時などに持って行って読むのにはちょうどいい古さの随筆が最適だ。何といってもあまり自分に関係ない世界のことが、今の人間とはまったく異なる地点から書かれているのがいい。
そういうわけで、幸田文の『木』の中の「ひのき」、『動物のぞき』の中の「きりん」などは、何度も読んでそのたびにほろりと、じーんとしてしまう。では最近の女流エッセイでも読んでみるかと、たまには手を出してはみるものの、今まで面白かった現代人は、伊藤比呂美さん、小池真理子さんくらいか。あっ、この前読売で読んだ蜂飼耳さんという詩人はかなり興味深いが、果たしてエッセイはあるのだろうか。そんなところにあの幸田文の孫でしかも同い年というので俄然期待してページをめくったのだが、そもそも「俄然期待」というのはエッセイを読む姿勢としてはあまりふさわしくないとも思う。
それで面白かったかどうかというと、やはり面白い。もちろんお祖母さんのことが出てくればそれだけで気持ちは高まるが、それにしてもものの見方、感じ方というのは、どうにも血筋というか、環境なのだなとあらためて思う次第である。なにもわからないうちに、周囲の人々がどのようなことに、どうやって反応しているか。それはいわば刷り込みとなってその人のあり方をかたづくるわけだから、わけがわかるようになってから身につけることより大きくてもしかたない。
お祖母さんの話に戻れば、「ひのき」の中で「あて」の運命を何とかしてやろうと一所懸命になったり、「きりん」の中で負けた競走馬をねぎらったりする文に触れて読者が涙を流すのは、いってみれば野球を応援している様をみて心動かされるようなものだが、それがすなわち文学の力なのだと思う。それがなくて、何で本など読むのだろうというわけだ。
そんな人たちに囲まれていて、奈緒さんのような人ができ上がる、何と嬉しい話だろう。それが私などが関東平野の隅っこの農村でのうのうと育っているのと同じ頃に、小石川でそういう人が育っていたというのが嬉しいのだ。
ちょっと貸してしまったので手元にないので定かでないのだが、お母さんがそう呼んでいた「きつねのケーキ屋」の話、「おそれいりやの鬼子母神」といって「オーソレミヨはイタリア人」と返された話、どの話も例えばお祖母さんが描いた『おとうと』のげんのように凛としていてやわらかい。
でももし、この人が幸田家の人間でなかったら、これらの文が自分の目に届いただろうかと、少し意地悪に思ってみるのもしかたないところだ。刺激ばかりがもてはやされるこの時代ではあまり人の目に触れることはないかもしれないが、だとしてもこの人はこの人のようにものを感じ、それを書き、あらそうかしらアハハと笑っていそうと勝手に思わせるようなそんなすばらしい暮らしぶりであり、その記録である。
「文は人」とはよくいう。

3月13日読了 TSUTAYA籠原店で購入

(BGMはNHK渋谷陽一。この人は確か1951年で一回り前の卯年。なお、1963年生まれは http://ja.wikipedia.org/wiki/1963%E5%B9%B4#.E8.AA.95.E7.94.9F