町田健『チョムスキー入門』―いいたい放題の、正しい「入門」

確か『先生はえらい』でだったか内田樹氏が、本でおもしろいのは「入門」だと書いていて安心した憶えがある。たまたまそういう時代だったか、学生の頃は翻訳とはいえドゥルーズだのロラン・バルトだのの本人の著作を大体古本屋でも高い金を払って読んでいたが、平成に入る頃から本屋に1000円未満で買える「〜入門」がどんどん出てきて、何だこれを読めばよかったんだということになり、自分の本棚にそういう類いがずらずら並ぶようになっても、何が書いてあるのかよくわからないのは本人の著作を読んでいた当時とそんなに変わらないから、出費が少なくなっただけいいのだろうけど、ちょっと見た目はぱっとしない。
そんなわけで、以前からチョムスキーの画期的で難解といわれていてもわからないかといえばそうでもない独創的なアイディアに興味を持ち、酒井邦嘉氏の著書を読んでそれがかきたてられていたところ、ちょうどよくこの入門書が出たので当然のように買って読んだ。
さて読んでみると、「生成文法」というチョムスキーの考え自体は、これまでそこらで読んで考えていたものとあまり変わりはなかった。私なりにひどく大雑把にいうと、何語でも人間の言語には、最近このブログで何度か書いている「箱」(文法)と「中身」(意味)の問題でいう「箱」の方に普遍性があり、その「箱」、つまり「文法」をつくり出す機能が脳には備わっているというもので、そこから最新の脳機能分析技術を駆使して酒井氏の方法は肯ける。
それは私が今まで読んだ中では、19世紀末に宇宙人に地球人の存在を知らせるためにジャングルを焼いて3平方の定理を表す直角三角形と3つの正方形を描こうという環境問題を度外視したとはいえ感動的な構想や、子どもにどんな変な生き物の絵を描いてもいいといっても、顔にあるのは目、鼻、口、耳に、せめて動物の角くらいで、どんなに想像力を駆使しても見たことのないものは描けないというのに似て、「箱の限界」が「普遍性」を示すという奇妙な成り立ちを持つものだった。本書はチョムスキーがそのアイディアに至った過程を、「句構造」などの用語を用いて詳しく解説したものといっていい。
ところが、本書のすごさは終盤に現れる。本書によればもともとチョムスキーの理論は途中でつじつまが合わなくなって何度も修正されてきたのだが、チョムスキーの入門書を書きながら著者はその問題点をいいたい放題に指摘し、最後のページでは「言語学に科学的な論証法をもたらすかのように見えた生成文法は、現在のままでは科学的合理性から遠ざかっていくばかりです。チョムスキーが老齢に達した今、生成文法の行く末がどうなるのか、興味深いところです」と言い放つ。
生成文法がどんなものかというより、私としては「入門」の著者がこのように突き放したことにあっけにとられたものの、案外こういう「入門」の方が正しいといえば正しいのではないかと思い直した次第。
帯裏には「生成文法、恐るるに足りず!」、読んだのは初めてだが、「著者“マチケン”先生、恐るべし!」。

5月11日読了 新宿駅ブックガーデンで購入

(BGMはNHK−FM渋谷陽一カサビアンズなど若手が続いたが、ここでクラシックのコーナーになり、30年前に滅びの美学を描いたとしてロキシー・ミュージック「マザー・オブ・パール〜サンセット」。こうやって意味だてて、また系統的に、新譜と旧譜が存分にきける番組は若い世代には貴重。もっと民放にもやってほしい)