酒井邦嘉氏の著作に触れて驚かされるのは、何よりその「わかり方」によってだ。
私は「わかりやすくわかる」ということを、あまり信じることができない。そのため「わかり方」を語ろうとして、かえってわかりにくくなってしまいがちだ。そんなこともあって、最初に読んだこの若く有望な科学者の著作『言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか』は、美しくデザインされた建築物や見事な創造物である生物の構造のように感じられて新鮮な驚きを感じた。
すべての論理は見事に一貫している。なのにそこに疑問を差し挟む余地がない。普通なら少しずつわかっていくことが、あらかじめわかっているかのような、かつて触れたことがない直線的な論理展開。

この人の「わかり方」、つまり論理は、一般の人のそれとは違ったかたちをしているのだろう。そんな論理で、たとえば、従来は言語を科学に持ち込むことができないと考えられてきたが、チョムスキー生成文法や新たな脳の分析技術によってそれは可能になったといわれれば、そうだと思うほかない。
その酒井氏が、アインシュタインニュートンチョムスキー朝永振一郎といった偉大な先人たちの言葉から、「科学」や「独創性」を語るというのだから期待は大きかった。

そして読んでいくうちに、酒井氏の企みがタイトルやテーマと別のところにあるのではないかと思えてくる。
たとえば第1章の冒頭に置かれるのは、「この世界に関して永遠に不可解なのは、『世界が分かる』ということだ」というアインシュタインの言葉。魅力的な名言の数々でも知られるアインシュタイン以外も膨大な文献からの興味深い言葉がいくつも続き、そして彼らの言葉を借りながら、科学の魅力、社会における科学者の役割、科学者の資質を明らかにしていく。

とにかく、厳選された一つひとつの言葉がおもしろい。一般に「科学者」といわれる人々だけでなく、ヴァイオリン職人、詰将棋、からくり箱など、さまざまな世界のプロの言も科学を語るために集められる。成功するのに必要な「運・鈍・根」、「孤独」の重要さ、「最小性」といった考えも実に刺激的だ。

心地よい知的興奮を楽しみながら読み進めると、「科学」の社会的機能、倫理、表現や教育の大切さなどが、壮大な建築物の柱のようにくっきりしてくる。そしてその中心に立つのは、おそらく著者がもっとも重要と考える「わかる」ということの、すばらしさや不思議さ、また絶対にまがいものを許さない厳しさだろう。

私なども、塾では「わかる」ということの奇妙さに日々たじろいでいる。そのすばらしさを伝えることも難しいが、不思議さ、厳しさを伝えることはもっと難しいことだ。
それは私が本当に「わかる」ということをわかっていないのかも知れないし、単に技術の問題かもしれない。
けれど本書を読んで思うことは、「わかることを信じる」ということの重要さ。それだけでも、無限に広がる大きな世界がぎゅっと詰まったこの小さい本に感謝したい。

(BGMはJ-WAVEスガシカオがゲストでしたが、ディスコの新曲はリズムの解釈がおもしろいと思う反面、何だか少し恥ずかしい感じも。今回から新企画として、その日に触れて気になったメディアの記事を。まずはこのところの毎日新聞連載、「となりの達人」(http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/wadai/tatujin/archive/)。プロというのは気持ちです)

6月27日読了 ブックガーデン上野で購入