映画にとっての「泣ける」

ちょっと前、以前に「日本語の歌詞」(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/9137d88bec032434d17bfd5a4619429d)の件があった高校の同級生I君から、「泣ける映画5本あげてみてくれ」とメール。忙しかったので「後で」と返信するもさらに要求があったので合間に次の文を書いて送りました。
一部加筆。

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“泣ける”というと、どうしても日本映画が多くなる。
特にヨーロッパ映画はどんなに好きでも“驚き”が大きく、完璧さに打ちのめされるばかりの映画時間になることが多いのだ。

というわけで、日本映画からまず3本。

1)『二十四の瞳』(1954)
子ども、戦争、貧乏のシンフォニー。
泣けて泣けてしかたがないのは、金毘羅さまのうどんやでのまっちゃんの話。小石先生を子どもたちが迎えに行くシーンもどうしようもなくいい。
西部邁が「はっきりいおう、私は貧乏が好きなのだ」といっているが、どうしようもない貧しさはどうしてこんなに美しいのか。
黒澤の『赤ひげ』も、あの少年のエピソードがもっとも好きだ。黒澤なら『生きる』も。
しかしこういった表現には「時代」が絶対条件らしく、黒木瞳版は未観だが、田中裕子をもってしてまったく描けなかったというのがそれを物語る。

2)『誰も知らない』
子ども、貧乏、そしてこれも“戦争”かも知れない。
においたつようなリアリティと、背筋の立った姿勢が美しい。
当時劇場で3回みた。

3『愛と死を見つめて』
このような単なる“病気もの”がこれほどまで心に迫るのはなぜか。
リアルストーリーだから、というのは多分合っていない。おそらく、“時代”がその答えではないか。
「私に健康な日を三日下さい。最初の一日は……」

続いて思いついたのは2本のモノクロ米映画。

4)『酒とバラの日々
このジャック・レモンが一番。
墜ちていく妻に「あなたも……といわれたシーンの迫力には泣いた。
ともに墜ちていく、だめになっていくことの、抗しがたい幸福の味。

5)『素晴らしき哉、人生』
希望、連帯、幸福に向けての闘争。
二十四の瞳』と同じく、こうした価値観は普遍であって否定されてはいけない。

と、あまりひねりのない5本はしかたないところ。
迷ったのは「何を」といわれそうな『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、ニューシネマ世代では『カッコ―の巣の上で』、原作の力が強いが『ガープの世界』、ストレートだがこれも忘れられない『ライトスタッフ』、リアルということでは『こわれゆく女』、賛否激しいが爆発的な『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、フランスから1本、“正義”について考えて泣けた『野生の少年』、英国から映画のつくりに泣けた『マイ・ネーム・イズ・ジョー』も
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といっても、例えば生涯ベスト1〜2、『気狂いピエロ』や『ゴッドファーザーシリーズ』のように、完璧なカット、完璧な音声が続く映画は、物語がどうこういうよりカットだけで泣けるもの。憂鬱なストリングスに乗って、スーツケースを頭に載せたアンナ・カリーナとベルモンドが川を渡るシーン、ニーノ・ロータの調べの上をパチーノからデニーロにオーバーラップするシーン。
映画にとっての「泣ける」。私はやはり物語からは遠いところにこそみたい。

(BGMはその『気狂いピエロ』のサントラ。作者アントワーヌ・デュアメルはよく知りませんが、この中の数曲は最初にみた時から20年以上経った今まで、何度頭の中に鳴り響いたことか)