【introduction】
寄生虫学の立場から「超清潔思向」に真っ向から食ってかかる著者の発言は、新聞などで読んで注目していました。著書は初めて。

【review】
たまたまブックオフで見つけたので買った文庫版だが、茂木健一郎氏の著書に続き選択ミス。おもしろくなくはないが、インドネシアにばかり焦点が当てられていて著者の全体的な考えには触れられなかった。

とはいえ、第2次世界大戦直後の日本人の大部分には回虫がいたとか、寄生虫がいなくなったからアトピーなんかも出てきたんだという部分には納得。もしそうなら、生き物というのは何と不思議なものだろう。

世に少なくない「はだしの教育」のようなものも、きっと著者のような思想も取り入れられているのだろうが、ひょっとしたら私たち現代日本人もさまざまな“自己選択”の1カテゴリーとして、「きれいにするかどうか」を選ぶべき時代にたどり着いたのかもしれない。
もし寄生虫が本当にアレルギーに有効なら、乱暴なようだが学区に関係なく小学校を選ぶように、健康のために“きれいでない環境”に入るという選択が考えられていいのではないだろうか。臨床データがあればぜひみたい。

ここでも、世界は“戻れる”か、という問題を考えなければいけなくなる。
先行きの見えない時代でノスタルジックな共同体再生論もよくきくが、“進んで”しまった世界を人間は戻すことが可能なのだろうか。

不確かな根拠ながら、私は世界はもとのかたちには戻らないと思っている。養老孟司氏がいうよう社会が脳によってつくられたものなら、脳が戻るのでなくあるものの上に積み重なっていくことのアナロジーとして、世界は決してもとと同じには戻らないだろう。
だとすれば、もとのかたちをもう一度つくるか、ヒトにとってふさわしいまったく新しいかたちをつくり出すしかない。共同体にしても、身体環境にしても。

とはいいつつ、これだけ清潔化した社会の一部に不潔を築くということ、つまり“人工的な不潔社会”が、具体的にどういうことかはまったくイメージできないのだけれど。ビオトープとか、テーマパークみたいになってしまうのだろうか。

藤田紘一郎『パラサイトの教え』 05年11月17日読了 ブックオフで購入

(BGMは「不潔」といって思いあたった90年代のグランジの名盤、ニルヴァーナ "never mind" 。この前、WOWOWリーガ・エスパニョーラ総集編できいたヒップホップ版もよかったが、"smells like teen spirit" というのはやはり名曲。といって、ほかの曲はほとんどきかないのだが。ところで、アルバムタイトルはどういう意味だろう)