『ブロークバック・マウンテン』―“わかりようのなさ”と“わからないようのなさ”の間で

【introduction】
アン・リー監督が05アカデミー監督賞を受賞。同性愛の純愛ストーリーということで話題になりました。

【review】
一体この映画は10年経つと、どんな風に語られるのだろう。
作品賞の『クラッシュ』が時間とともにつまらない映画に思えてきたのに対して、本作は思い出すほどに美しくなっていく。いい映画とはつまり、そういう作品なのだと思う。
もともと隅々にまで気が行き渡るアン・リー作品は好きだった。
やはり同性愛もので、カルチャーギャップを仄かな笑いで包み心温まる家族ものに変化させる過程が見事な『チャイニーズ・バンケット』、やはりカルチャーギャップが老いらくの恋の複線として効果的で,活劇にまで広がった構成がおもしろい『推主』、なんか事情の違う『グリーン・ディスティニー』さえ、もののけ姫が実写になったようなチャン・ツィイーの扱い方はチャン・イーモウのアクションよりずっとよかった。
アン・リーの視点には微妙な対象に向かいながら近づき過ぎず批評眼がぶれないでいる、抱きかかえつつ突き放すというすぐれた映画監督の資質そのものといえる。
そうした手法で描かれる1960年代アメリカ片田舎の同性愛。60年代生まれの日本人には時代背景にわからない部分はあっても、テーマそのものが普遍的だからわからないようがない。
多くの観客は性別に関わらず、主人公らの妻たちの立場で本作をみるのではないか。
そこで良識からは外れつつこの世でもっとも美しい世界を生きる主人公たちのブロークバックバック・マウンテンに嫉妬しながら、イニスの釣り道具に思いをぶつけるアルマの苛立ち、暮らしがすさむとともに見かけだけ華やかになっていくジャックの妻ラリーのさみしさを体験する。
そしてそんな風にリアルな彼女たちの良識のシーンが消えると、ズーチャッチャ、チャーン、チャーン、チャラチャーン、とワルツに乗って画面上に広がるブロークバック・マウンテン。「ウィスキーの川が流れていて……」というラリーのセリフはパラダイスに決して行くことのなかった悲しみに満ちていて、同時に見守る観客には画面の上でそれを目にはできるという映画というスタイルの奇妙をまざまざとみせてくれて見事だ。
そしてブロークバック・マウンテンの二人の、観客にはどうしてもわかりようがない気持ちのぶつけ合いの数々。それは観客の単純な共感を遠ざけ、映画的な謎を謎として残したまま、ズーチャッチャ、チャーン……と美しい稜線だけを心に刻むことになる。
“わかりようのなさ”と“わからないようのなさ”。その間で揺れ、心にブロークバック・マウンテンがほしくなる、どこまでも映画らしい2時間ちょっとの夢。

4月13日 伊勢崎MOVIXにて