【introduction】
肩書は文化人類学者の上田氏の文章は、新聞や雑誌で読んで気になっていはいました。『朝まで生テレビ』でも何度か。しかし一冊まとめて読むのは初めてです。
ど真ん中ストレートのタイトルはなぜか買う時には気にならず、読み終わってから、おおっと思った次第。

【review】
誰もが同じものをほしがらされているから空しい〜人はそれぞれ〜わくわくするには苦悩も必要〜「内的成長」こそが「生きる意味」をつくる、と要約すれば、この本のメッセージはそう目新しいものではないかも知れません。
こういったいわゆる“人生指南本”をよく読むわけではありませんが、例えば諸富祥彦氏の本などを時に手に取ってしまうのは、同世代の人文系の学者がたどり着いたのは、どのような地点なのかという興味からです。
そして上田氏が現在行きついたのは、クールな話しぶりからすると意外なほど熱っぽく語られる「内的成長」というキーワードでした。「内的成長」。なるほど素晴らしい言葉です。これに気づかなくて不幸に感じている人は少なくないでしょう。

と、ここで今の自分を考えて、氏のいう「空しさ」をほとんど感じなくなっていることに気づく。若い頃あんなに感じていた空しさに対し、ちょうどおかしなにおいがずっとかぎ続けていると気にならなくなってしまうように。
空しいなどと思う間もなく、おお、来週はチャンピオンズリーグベスト8だぜとか、早く帰ってにゃんどもなでようとか、明日はあそこのラーメンを食べようとか、そうやっているうちに今年も早3ヶ月が経とうとして驚くばかり。あほのようだが白状すると、私はたまに本気でこの世の中は竜宮城ではないかと心配するくらいなのだ。
これは一体どうしてか。20年ほど前の私にとって世界は空しさで充満していて、何をやってもしかたない、何をやってもつまらないと、同じくらいの本気さで考えていた。

特に若い者どもと接している時、彼らもやはりそういう空しさの只中にいるんだなあと思うことがよくある。正体はわからないけれど、常にまとわりつく空しさ。
そういえばそれは太宰治の『トカトントン』や、ゴダールの『気狂いピエロ』で歌われる「ララララー」という歌で表現されていたものに似ている。そしてかつての私は、自分の中のそういった空しさを、なぜか大事にしていた。

と、話は本の感想からずいぶんずれましたが、これもこの本のテーマである「空しさ」と「内的成長」から思い至ったこと。いい表現とは、多くのことを気づかせてくれる表現といえるでしょう。
今夜気づいた、感じなくなったのか、それとも慣れてしまったのかわからない空しさについては、これから少しずつ考えたいと思います。

上田紀行『生きる意味』

(BGMは、Al Kooper "naked songs"。名曲 "Jolie" をはじめとするこのような音楽をきく時間は、少なくとも空しくない時間です)