【introduction】
同年生まれの重松氏の作品は数冊読んだだけですが、次回が最終回の毎日新聞連載http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/bebe/shigematsu/ など小説以外の仕事にも敬意を感じています。
12月にSABU監督で映画化もされるという本作は、家庭や学校の身近な出来事を題材にしてきた重松氏が、家庭崩壊や殺人などハードなテーマに挑んだ意欲作です。
読み応え十分。大胆で荒れ狂う物語の力に圧倒され、登場人物たちへの感情移入できたことでは近年まれな作品で、たとえば村上龍著『コインロッカー・ベイビーズ』のキクとハシを思い出します。彼らの運命に終盤ついに涙。つまり極上の読書体験となり、シュウジやエリのことは一生のうち何度も思い出すことになるでしょう。
もう一つ個人的には、この小説はたれ目との隔離生活中に暑い部屋で読んだ本だということ。たれ目の左目と『疾走』、シュウジやエリとはお互いに結びつけられて記憶されます。

【review】
重松氏の書いたもので一番心に残っているのは、実は故・中上健次氏が亡くなった時の毎日新聞での追悼文である。学生時代に中上氏の周辺にいた重松氏が最後の無頼派作家との日々を思い出しながら、中上氏の「おれには書くことがいくらでもある」という言葉に対し、自分は書くに値するだけの事実を持っていないということを、悲しむでもなくただそういう事実だという筆致で記していた。
重松氏の書くものを読んでいて、いつもこの文を思い出す。そしてそれだけに、この人の書くものは信用できると思う。
本作で重松氏が書きたかったのは、『枯木灘』をはじめとする中上氏の紀州路地サーガではあるまいか。そしてバブル崩壊や頻発する少年犯罪、携帯電話といった中上氏死去以降の社会をフィクションの中に投げ入れることによって、中上氏の「書くこと」=路地に迫る切実さを現出することに成功している。そういえば中上氏にも、新聞販売店の少年が主人公の『十九歳の地図』があった。
『疾走』というタイトルにもなった、鬼ケンの軽トラでのドライブはじめ、残酷な世界に対する抵抗の象徴であるエリのランニングの後姿、アカネの生への意志、神父の悲しみ、シュウイチの孤独などが圧倒的な筆致で語られ、干拓地のめまいのするような暑さ、東京の片隅の心も動かなくなる寒さなどが、自分のことのように感じられる。現実的というにはあまりに派手なドラマが続いても、だからといってそれが切実さを失うことにはつながらない。
近年の小説には、“物語”のためにもういいというほどの悲惨な出来事が並べられることが多い。だが、陰惨ないじめ、変態性描写も含めて、本作の場合主人公シュウジの心を描くのにどれも必要だったと思う。
二人称の語りも功奏。SABU監督はあまりいい印象はないが、エリ役の『誰も知らない』が鮮烈だった韓英恵をはじめ映画も楽しみだ。
同い年の大型“物語作家”の誕生を喜びたい。

重松清著『疾走(上・下)』角川文庫 蔦屋にて購入 9月1日読了