【introduction】
スカパー解放デイにクラシカジャパンでオンエア。10年くらい前かNHK−BSでやっていたのを、当時フジの『音楽の正体』や『キーボード・マガジン』のセミナーで音楽理論を学んでいたこともあって興味深くみたので、ただでみられるならと収録。この第1話は初見でしたが、シリーズ全体のスタンスをうまく示していてすばらしい1時間でした。

【review】
バーンスタインは好きな指揮者。数年前買ったストラヴィンスキーの『春の祭典』のそれまでにきいたのとまったく違うダイナミックさに心奪われ、以降ブックオフなどで安く売っているアナログをけっこう買った。ロック的ともいえるメリハリが魅力と思える。
そのバーンスタインがヤング・ピープル向けにクラシック、というか音楽全体のすばらしさをニューヨーク響で伝えるという、何とも贅沢な企画。MCバーンスタインはNY響をターンテーブルに使ったDJのようだ。
この第1話では、音楽は物語ではなく一つひとつの音の連なりの快さだということを『ドン・キホーテ』『田園』『展覧会の絵』などをテキストに説く。アポロン的な詩と違ったデュオニソス的な音楽を語ったニーチェの『悲劇の誕生』、音楽にひたる幸福を強調した小林秀雄の『モーツァルト』など音楽の秘密を解き明かす名文は多いが、やはり音が入ると説得力が違う。
10年前に何本かみた中で記憶に残っているのは、『旋法ってなに?』でキンクス『ユー・リアリー・ガット・ミー』をピアノで弾いていたこと。バーンスタインが伝えたいのはクラシック音楽でなく、「音楽」なのだ。
カメラも絶妙。音の一つひとつに顔を輝かせたり反対に退屈したりする子どもたちの表情はよくとらえてスリリングだし、指揮台、ピアノの前のバーンスタインも魅力たっぷりだ。マイクを着けたままの指揮なので、ウーウーウウウーウーというバーンスタインのうなり声もきけておもしろい。
思うにこのすばらしさは、1958年という時代も大きい。画面に現れるのは当時の、そして今はナイスミドルになっているだろうアメリカのいわゆる“勝ち組”たちだろうが、大衆にまだハイカルチャーだったクラシックを啓蒙しようという“良心”に満ちて、幸福な空気を感じる。
いいかえれば、知らないことが知らないことだった時代の解放感。50年近く経って知らないことは増えているはずなのに、今はすべてを知っているような気がしてしまうのはなぜだろう。
例えば現在日本で寺内タケシ氏がやっている高校のエレキ。今はメインストリームとはいえないロックも、大衆化されたものである以上こういう空気は生まれないだろう。みたことなくて失礼だけれども、社会と音楽の関係からそう思う。
と、思い出したのは、
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/bebe/kakusa/archive/news/2005/08/20050801ddm004040150000c.html
の新聞連載。これまた実際にみていないで失礼ながら、トヨタのエリート校に殺到する“勝ち組目指し親子”に感じる違和感は、このカーネギーホールのオーディエンスが持っているものを持っていないからだと思う。
それはヤング・ピープルにとっての「音楽」、勝ち組目指し親子にとっての「知識」。つまり得たいものに対する欲求の純粋さではないだろうか。勝ち組目指し親子にとっての知識は勝ち組になるための道具でしかないように思える。
そういえば小沢征爾も同じような企画をやっていたし、調べると佐渡裕という指揮者もやっているらしい。小沢のは一度ビデオにとったので探してみよう。小曽根真のジャズ啓蒙活動も似ているように思える。
どれもいいだろうが、この時代、バーンスタインという二つの条件にはかなわなそう。昔みた『旋法ってなに?』のテキストはドビュッシー『海』だったが、終わり際、「今日はみなさんよく聴けましたね。この曲は子どもには少し退屈かと思ったのですが」といった一言に教育者としての資質が集約されている。
25話あるそうで全部みたいが、クラシカ・ジャパンというのは何とも高過ぎ。

8月8日視聴 クラシカ・ジャパンで収録