『新人生論ノート』木田元著・2005年集英社新書

【introduction】
ハイデガー研究の第一人者である日本哲学の重鎮が、もはや古典といえる三木清『人生論ノート』の方法論で書く。むしろ人間味あふれるエッセーの趣き。こういう風に歳をとれたら、とは思う。

【review】
木田さんは難しいと思っていた事柄をいつでもオセロの駒をひっくり返すように明確に言い表してくれ、まさに蒙を啓かれている思いを味わえる刺激の多い読書時間となる。どこかで、わからないことをわからないという姿勢を貫く哲学者という紹介を読んだ記憶があるが、この明確さの秘密はどうやら氏の“わかり方”より“わからな方”にありそうだ。
たとえば「理性について」。欧米の理性について私たち日本人は本当にわかることはできず、「長年苦労した」といい、わかったような顔をする自らを含めた国内の哲学の徒に疑問の目を向ける。プラトンイデアも同様だ。
ソクラテス無知の知に似ているが、それだけではない。「わかること」と「わからないこと」では、普通は「わかること」が光で「わからないこと」が影と考えるだろう。しかし氏の書くものでは「わからないこと」が強烈に光を放ち、「わかること」という影を明確にしているように感じられる。
明確さでは影は光に負けない。影の「わかること」が明確で不思議はないだろう。
と、いつものように抽象的な話になった。きっと自分が何をわかっていないのかさえ明確でないからに違いない。そのことはわかっても、うまく言い表すのは難しい。
本家三木清のねじれた人格については向井敏文章読本』でも読んだが、これを読んで再確認。いい歳のとり方もいいけれど、これはこれで。