本日は番外編。
先日、長い友人Iからなぜか突然、「『この歌のこの歌詞はすげえ!』と思うヤツをいくつかあげてくれ」と頼まれました。「何だ」ときくと、「私的な文章の参考にする」とのこと。凶暴につき、いうことをきかないと次に会う時こわいので、仕事が詰まっていたのに関わらず没頭すると、これが案外楽しい作業でした。
翌朝、「参考になったよ」とのメール。どうやら難を逃れ、「せっかくだから、少し直して最近始めたブログに載せておくよ」と返信しておきました。その後、連絡はありません。
本当をいうと昭和の歌詞が続々のところですが、Iもよく知っているはずのその辺はもっともベーシックなものにとどめ、平成の音楽を中心に選びました。
なお、自分でCDを持っているものに限りましたが、私の場合、サウンドと切り離して歌詞を味わうことはないと再確認。何年か前に編集した"Japanese post student days"というCD−Rと重複するものがほとんどです。
年代降順。歌詞はうろおぼえが多いため正確ではありません。
また、同時に「くるりCoccoの簡単なアーティスト論も頼む」といわれ書いたので、それもついてます。

小島麻由美
「愛しのキッズ」2002
〜さよなら愛しい人、もう一度だけ笑って
 この年のベストシングルで、歌唱や曲、サウンドとともに歌詞もいい、という印象だった。しかし、改めてきくと何も残った歌詞はなく、ほかの要素を壊さないことに全力をあげているという感じでそれもすごいこと

畠山美由紀
「輝く月が照らす夜」2001
〜あなたがもし望むならば、きょうだいでも友だちにでもなるわ、そしていつの時もあなたを一人にしない
 大人の静かな狂気のかたち。息遣いがきこえてきそうな情景描写が秀逸

Ajico
「すてきなあたしの夢」2001
〜すてきな私の夢を少しの間きいてよ
 UAも敬愛のパティ・スミスに“Listen to my story...”ではじまるすごい歌があるが、これを文化を含め日本語にするとこうなる。何よりメロディー、浅井のギターとの絡みが隙なく、歌詞は決して独立したのものでないと実感

Aiko
「桜の時」2002
〜春が来るとこの河辺は、桜が目いっぱい咲き乱れるんだ。あなたはいう、わたしはうなずく
 セリフ歌詞として最良。見えない世界を描くのが言葉の機能の優越だということを改めて思い知らされて唸った。桜の花のように騒々しさ満点のアレンジも秀逸

Cocco
「雲路の果て」2000
〜この眼さえ光を知らなければ、見なくていいものがあったよ
 ギリシア悲劇的、演歌的ともいえるダイナミズム。Pink Floyd "Wish you were here..."のように、「もし……」は歌詞に向いた構文

くるり
「街」2000
〜この街はぼくのもの
 世界を自分のものといえるのは若さの特権。サウンドとも絶品の歌い出しの4小節で、世界を構築する。この叫びを歓喜で描かないこと、激しく繰り返す転調は岸田の真骨頂

トライセラトップス
「ゴシックリング」
〜(必死の捜索もCD見つからず。あとで入れます)
 とくに歌詞は純粋詩歌より下世話さを味方にする。下世話はつまり、具体的ということで、その点で和田の詞は平成のバービーボーイズ

ゆらゆら帝国
「昆虫ロック」1998
〜雨が降る日は何もしない、髪がべたべたするから、風が吹く日も何もしない、どこか消えたくなるから
 ただ声を大にして歌えばいいと誤解されがちだが、不快感の表現に説得力を持たせるには力量が必要。おかしさに包んでそれをやってのける山本のそれは相当のもの

●東京ナンバーワンソウルセット
「Sunday」1995
〜一、二、三とくれば、四、五、六と……
 日本語ラップをいわゆるBボーイ的な価値観と別のところに見出した少ない例。サウンドも絶妙

ブランキージェットシティー
青い花」1994
〜忘れないでくれよ、誰もがみんな、この星のひとかけらなのさ
 フェアネスを価値として持つことは、舌ッ足らずな若さの条件。浅井の詞は世界を撃つことの痛みにあふれる

早川義夫
「この世で一番キレイなもの」1994
〜弱い心が指先に伝わって 痛々しいほどふるえている
 94年作の冒頭を取り上げた。大槻ケンジが「早川流ひねらずの術」と呼ぶこんなに歌詞を一生のうちきいたことはなかった。
 本人の詞ではない
69年作「サルビアの花」
〜泣きながら キミのあとを追いかけ 花ふぶきに舞う道を 教会の鐘の音は 何て嘘っぱちなのさ
 てのもすごい

忌野清志郎(RCサクセション)
「空がまた暗くなる」1990
〜Yeah おとなだろ 勇気をだせよ おとなだろ 知ってるはずさ 悲しいときも 涙なんか もう二度とは 流せない 悲しいときも 涙だけじゃ 空がまた暗くなる
 いい詞がいっぱいだが、今一つ選べばこれ。世にあまたある前向きソングに足りないものが何かがわかる90年作

中島みゆき
「異国」1980
〜百年しても 私は死ねない ふるさとと呼べる場所がないから くにはどこかときかれたら私 まだありませんとこたえる
 鮮烈。世の中にはわかりようもないことがあり、それを表現しようとするものがいることに衝撃を受けたが、今もそれは生々しい

伊勢正三かぐや姫
「置手紙」1974
〜君はまだたくさんの紙袋を抱えたままでこの手紙読んでいるだろう
 やっぱりこれか。マイナーから始まって4小節でメジャーに移るというコード進行とメロディが主だが、付帯状況の構文が印象的な歌詞もぴったり合い心酔。今はめったにきくことはないが、時々心の中で反芻する永遠の名作

【簡単なアーティスト論】
くるりサウンド面でもいろいろやっているが、何より歌詞と曲づくりに関しては若手では抜けているのできいていて飽きない。その面ではやはり日本のレディオヘッドといえそう。メンバー全員、歌詞、曲、サウンドとも勉強熱心で、過去の音楽遺産の消化のしかたが絶妙。J-WAVE でやっていたラジオは、大変勉強になった。岸田の歌詞世界では、日本のポピュラー名曲、マンガからインスピレーションを受けたものが多いと思うが、今後は豊穣な日本文学世界を多くインプットしてさらに世界を深めることを期待。

Cocco:よくいわれるようにオーバープロデュースという感じはあったが、それとも真摯に向き合っていて好感を持てた。90年代的、PJハーヴェイ的なハードネスと日本独特のやわらかな絵本世界、そういうものとの振幅が身上だったと思う。岸田との Singer Songer に期待。